LOGIN 何だかお高そうなゼリーなので、つい食べるのを
「ええ、どうぞ。僕の大好きな夕張メロンのゼリーです。美味しいですよ。……あ、冷蔵庫にたくさんストックしてあるので遠慮しなくて大丈夫です」
「そう? じゃあ……いただきます」
冴島くんから小さなスプーンを手渡され、遠慮がちにそれで口に運ぶ。ヒンヤリと冷たいゼリーはチュルンと喉を通り、甘くて瑞々しいメロンの香りが鼻から抜けた。
「……ん、美味しい!」
「でしょう?」
思わず顔を綻ばせた私につられてか、彼も無邪気な笑顔になった。……彼、こんなに可愛い顔して笑うのね。
「うん。胃にも優しいし、喉越しも爽やかだし。今日の朝ゴハン、これだけで十分かも」
「それはダメでしょ。急いで帰る必要がないなら、朝ゴハンも食べて行って下さい。これから僕がお粥か何か作りますんで」
「えっ? 冴島くん、料理できるの?」
私ももちろん母から料理を叩き込まれ、自炊できるけれど。それは女だからで、料理ができる男性を今まで知らなかったのでちょっと意外だった(今まで付き合ってきた歴代の彼氏たちも、料理の「り」の字も知らないような男たちだった)。しかも、彼は御曹司だし……。
「できますよ。父から『今の世の中、男も自立していないと生きていけない。家事も自分でできるようになっておけ』と言われているんで。それが冴島家の教育方針らしくて。……あ、こんな話、興味ないですよね。じゃあ、パパッと作ってくるのでちょっと待ってて下さいね。そのゼリー、平らげてしまっていいので」
「……うん、分かった。ありがとう。お願いね」
キッチンでお米を洗い、鍋をコンロ(どうやらIHコンロらしい)にかける彼の姿を、私はゼリーの残りを食べながら眺めていた。何だか、二日酔いの私に甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる彼がものすごくいじらしい。
「……変なの。男に対してこんな気持ちになるなんて」
今まで私が好きになった男たちは頼りがいがあって、逞しくて、いつも私の前を歩いてリードしてくれるようなタイプばかりだった。「男らしい」という言葉はあまり好きじゃないけれど、まさにそういう言葉が似合いそうなタイプ。
でも、今の会社に入ってからはその男たちが仕事上のライバルのようなところもあって、「女だからって負けていられない!」と思うあまり恋愛を疎かにしてきた。仕事に恋愛を持ち込めば、相手に弱みを見せることになる。「これだから女は」と言われるのがイヤで、恋愛は仕事のジャマになるといつからか思うようになっていた。
そんな愛想も可愛げもない私によく懐いてくれているのが(……という言い方は変かもしれないけれど)、二年後輩の彼だ。彼はどういうわけか、私のことを気に入ってくれているらしい。
『茜さんはそのままでいいんじゃないですか? 僕は茜さんのこと、カッコいいと思います』
私のことを「尾崎先輩」ではなく「茜さん」と下の名前で呼び、「カッコいい」と評価したこの男。社長のご子息だと聞いた時は「どうせ、世間知らずの生意気なボンボンなんでしょ」くらいにしか思っていなかったのに、彼は想像していたお坊っちゃま像とはまるで違っていた。
優しくて気配りもできて、仕事もバリバリできるのにそれをまったく鼻にかけない可愛い後輩ポジション、それが冴島稜也という男だった。
* * * *
「――さ、どうぞ。召し上がれ」
「ありがとう……。いただきます」
小ぶりの丼に盛られたホカホカと湯気の立つお粥を、私は木のスプーンで掬ってハフハフしながら口へ運んだ。小皿に盛られた梅干しと昆布の佃煮も添えられているけれど、まずはお粥のみを味わう。
「あ……熱っ! ……ん、でも美味しい。塩分控えめで優しい味ね」
「でしょう? 多分、アルコールで相当胃をやられてると思ったんで、薄めの味付けにしたんです」
そんな私の目の前で、彼はガッツリとトーストとソーセージとオムレツで朝食を
――翌日の日曜日は特に何の予定もなく、家にこもって過ごしていた。 座卓の上に領収書やら何やらを広げて在宅で仕事をしていると、スマートフォンに稜也くんから電話がかかってきた。「稜也くん、どうしたの?」『茜さん、……今話して大丈夫ですか? というか、今どこで何をされてるんですか?』「今日は家にいて、今はみんなの分の領収書をまとめてたところ。そろそろ経理部に、経費の精算の申請出さないといけないから』 そういえば、私たちが付き合うことになった日にも二人で残業させられて、遠藤元室長に押し付けられた清算業務をやっていたなぁと思い出す。『そうですか。遠藤さんと違って、茜さんはそういうところキチンとしてますよね。経理部長も喜んでましたよ。「さすが尾崎さん、管理職の鑑だ」って』「それは褒めすぎでしょう。私はただ、管理職として当たり前のことをしてるだけなんだから」『いえいえ、そんなことないですよ。それに比べて遠藤さんはいい加減でしたもんね。茜さんに丸投げして残業までさせて』「……そういえばあったわね、そんなことも」 ちょうど今、彼も私と同じことを考えていたんだなぁと思うと、何だか愛おしく感じた。 私は彼のことをキライになったわけじゃない。顔を合わせないようにしたのはお互い冷静になるためだった。そして今、冷静になった私はこう思っている。やっぱり私は彼のことが好きだから、この先も一緒にいたい。離れたくない、と。「――ところで稜也くん、今日はどん
――翌日の土曜日。私は姉と会うことにした。昨夜のうちに、「会って相談したいことがある」と連絡を取っていたのだ。「お姉ちゃん、せっかくのお休みなのに呼び出してごめんね」「いいよ。茜の方からあたしに『会いたい』って連絡くれるの珍しいもんね。新婚家庭に気を遣ってくれてどうも」 待ち合わせていたファミレスで落ち合った姉は、謝る私にカラカラと笑った。 「今日はね、ダンナは休日出勤なの。だからゆっくり時間取れるよ。――で、あたしに相談したいことって何? なんか相当深刻そうだったけど、愛しの稜也くんとケンカでもした?」 オーダーした料理が来る前に、先にドリンクバーで汲んできたオレンジジュースを飲みながら姉が問うてきた。私もウーロン茶で喉を潤してからおずおずと答える。 姉も姉のダンナさん――義兄も稜也くんのことは気に入っているようで、「あんたたちいつ結婚するの?」と冷やかされているので、これはこれで困っているのだけれど。それはさておき。「ケンカっていうか、私が一方的にやらかしちゃったっていうか……」 私は姉に引き抜き話が来ていること、彼に話したけれど彼から「それは茜さん自身が決めることだ」と冷静に言われて悲しかったことを話した。「でね、『どうして引き留めてくれないの?』って。『私がこの会社からいなくなっても、あなたは淋しくないんだ?』って言っちゃって。……でね、今日と明日はお互いに冷静になって、自分の心と向き合おうってことになって」「……なるほどねー。悪いけど、あたしも稜也くんの意見に賛成だな。別の会社に行っちゃったくらいで終わっちゃうなんて、それだけの関係だったってことなんじゃないの? でも、あん
「――このままじゃ、私ホントにこの会社からいなくなっちゃうよ? それでもいいのね? あなたは淋しくないんだ?」「ちょっと茜さん、落ち着きましょ? 冷静に、ね?」「これが冷静でいられるかぁ!」 稜也くんが私を落ち着かせようと肩をつかんできたけれど、頭に血が昇っている私はその手を乱暴に振り払った。そのままポロポロと泣き出し、言いたくないことまで言ってしまう。「私……、稜也くんのそういうところがイヤなの! どうして自分の恋人が会社からいなくなるかもしれないのに、そんなに落ち着いていられるの? 信じられない!」「だから落ち着きましょって。別に茜さんがこの会社を去ってしまったからって、僕たちの関係が終わるわけじゃないでしょう? ……とにかく、お互い一度冷静になって、自分の心と向き合った方がいいと思います。僕も今はちょっと頭が混乱しているので……」 彼が混乱しているなんて信じられない。だって、彼はこんなに冷静で……。でも、今の言葉からは普段の彼の冷たさは感じられなかった。「…………うん、分かった。私も言い過ぎたかもね。ごめん。それじゃ、明日と明後日は顔を合わせない方がいいかな」 幸いにも今日は金曜日。週明けまでは出社してくることもないはずなので(管理職になったので、不測の事態が起きれば出社しないといけないかもしれないけれど)、デートの約束をしなければ稜也くんと会うこともない。冷静になるには、一度距離を置いた方がお互いのためにもい
――その日の夜、お腹いっぱいになってマンションに帰り着いた私は、夕方の稜也くんとのやり取りを思い出していた。 あれはどう考えても彼の本音じゃない。「もしも」の話だから、あんな冷たい正論を言ったに過ぎないのではないか。そう思ったのだ。彼も本心では、私に会社を去ってほしくないと思っているに違いない。そう思いたかった。 でも……、これが「もしも」の話ではなく本当のことだと知っても、彼はきっと同じように言うんじゃないか。そんな気もしている。「私はただ、彼が背中を押してくれるなら引き抜きの話、受けてもいいと思ってるだけなのになぁ……」 彼に引き留めてほしいと願いながらも、そう思ってしまうのは矛盾していると自分でも分かっているけれど。だからこそ私は悩んでいるのだ。「ホントにもう、どうしよう……」 モヤモヤした気持ちのまま私は部屋着に着替えてシャワーを浴び、眠ろうとした。けれど結局一睡もできず、朝を迎えてしまった。 * * * *「――はい、ただいまメールを確認致しました。そちらに送付した資料に不備があったとか。 ……はい、大変申し訳ございませんでした。こちらの確認不足で、御社には多大なご迷惑をおかけ致しました。これから誠心誠意、対応させて頂きます。……では、失礼致します」 数日後の午前。オフィスで受話器を戻した私は大きなため息をついた。そしてこの件を担当している二人の部下をデスクに呼ぶ。「冴島くん、中田さん。ちょっと来てくれる?」
――それからの私はというと、普段ならしないミスを連発してはチーフである稜也くんから「本当に大丈夫なんですか?」と心配される始末。本当に情けない上司だ、私って。 それでもどうにか定時には仕事を終え、退勤後は真優と一緒に夕飯を食べに行くという約束があるので(専務との外出から早く戻って来られたらしい)、帰り支度を始める。 気がついたら堀内くんや中田さんなど他のメンバーは早々に帰ってしまって、稜也くんと二人だけが残された。……う~ん、気まずい。「――あの、茜さん。今なら僕たち以外に誰もいませんから、あえてお訊きしますけど。本当に悩んでいることは何もないんですね?」「……だからないってば。どうしてそう思うの?」「昼休みを終えて戻ってきてからずっと、茜さん、様子がおかしかったので……。体調は悪くなさそうだったので、だとしたら何か悩んでいるんじゃないかと思って」 私は肯定も否定もしない。引き抜きの話を、まだ彼にするわけにはいかないと思っているから。だからその代わりに、彼にこんな質問をしてみる。「……ねえ稜也くん、私がもしこの会社からいなくなったら……って考えたことある?」 私って何てズルい女なんだろう。こんな、彼の気持ちを試すようなことを訊くなんて。「いなくなる、って……。茜さん、この会社を辞めるつもりなんですか?」「あ……、ううん。そうじゃなくて、もし他社からの引き抜きの話があったとしたら……。稜也くんはどう思う?」 彼はどう答えるのだ
「――えーと、それは……つまり、私をヘッドハンティングしたい、ということでしょうか?」「ええ。そのような解釈で合っています。わたしは今日、あなたを弊社に呼びたいと思い、こうして足を運んで来たんです。……アポなしで参りましたのは申し訳なく思っておりますが」 私が混乱する頭で必死に捻りだした結論に、南沢副社長は大きく頷かれた。私を引き抜きに……? どうしよう? 急にそんなことを言われても困る。どう返事をすればいいのだろう?「はぁ……、そうですか」「弊社へ謝罪に来られた際の落ち着いた対応、その誠意に満ちた態度に兄が大変感服致しておりましてね。『彼女にはぜひとも、わが社でその能力を遺憾なく発揮してもらいたい』と申しておりまして。もし来て下さるようなら、それ相応の待遇を用意しているから――と。年収は千二百万円で、あなたのお望みのポストも用意する、と申しております」「年収、千二百万……」 思わず私の心がグラついた。そんな自分に内心愕然となる。 この会社での、今の私の年収は一千万。月収は六十万、プラスボーナス支給が年に二回でその金額である。それが年収千二百万ということは、少なくとも月収だけでも七十万~八十万になり、それプラスボーナスも出るということだ。収入の面だけ見れば、この話はすごく魅力的ではある。 それに、東亜商事は私を必要な人材だと言ってくれ







